愛などというやつ

繭人の誕生日に旅行へ行った真野多野のおはなし。短くてゆるやかほのぼの。


 

 いつでもどこかで言い訳をしていた。
 時間のせい。能力のせい。他人のせいにして。
 やさぐれて後ろを向いて。見たくないものを、見ないようにしてきた。
 だからこそ好きなことをしている時だけは、そんな自分を忘れられたのかもしれない。夢中になって。没頭して。それ以外、なにも考えないようにしていたのかもしれない。
 それでもしつこくちらつく影が、疎ましくも手放せなくて。
 ……その相手が、今は自分の恋人だなんて。
 一体過去の自分が、どれほど驚くことだろう。

「たぁくん、見てくださいっ♡綺麗ですねぇっ」
「おお、ほんと。今日は晴れてよかったな~」
「本当! うっすら色づいてますね。気持ちいい……♡」

 豊かな山々を見て繭人が惚けるように呟く。ようやく暑さが治まってきた秋口の旅行。晴れた陽気に涼しい風が吹く心地の良い気候に、拓斗はこの季節が好きだな、と改めて思う。隣に並ぶ少し小さく薄い肩がぶつかり、無性に触れたくなって引き寄せる。

「わっ♡ど……どうしたんですか?♡」
「ん~……。なんか、すげぇ好きだなって」
「っ♡ぼ……僕もです。大好きです、たぁくん……っ♡」

 自然とあふれてきた告白へすぐ返ってくる返事に、拓斗はにやける頬を隠さず繭人へキスをする。
 付き合ってから、はじめてのふたり旅。
 繭人の誕生日に合わせた、特別な旅行。
 ここ数年で最も拓斗が奮発した一世一代の買い物かつ贈り物は、既に出発から数時間で元が取れている。こんな繭人の笑顔だけで、拓斗の心はどうしようもなく満たされてしまうからだ。

「(ほんと。人生、どう転がるかわかんねぇもんだよな)」

 胸の内。そっと、ひとり呟く。
 繭人のことが嫌いだった。いや、妬ましくて、たまらなかったのだ。つまらないはずの、ただ金を稼ぐだけの仕事へなんの迷いもなく向き合って、身を削って努力して、真剣に取り組んで。そうして相応の評価を貰って、周りに認められ讃えられ出世してゆく繭人が、妬ましくて……そして、眩しくてたまらなかった。
 自分にはない真面目さを持っている繭人。
 自分にはない高潔さを抱いている繭人。
 そんな彼が、自分にはやたらと構ってくるのが同情されているようでみじめでたまらなくて。彼の手を、払い続けていた。
 そしてそんな自分が……大嫌いだった。

「ほら、あっちも行こっか。ボート乗れるって!」
「ボート? わぁ♡僕、乗るのはじめてですっ♡」
「ははっ。またはじめてだな」
「はいっ。たぁくんとたくさん『はじめて』が出来るの、僕、とっても嬉しいですっ♡」
「ん……♡ありがと、まゆ」

 笑う繭人に、自然と、感謝がこぼれる。
 払い除けていた手を取って、こうしてためらいなく繋げることのできる今が、信じられないほど尊いとそう思える。
 今ならわかる。繭人が、同情でも施しでもなく、ただ自分と関わりたくて、手を伸ばしていたことに。真っ直ぐ故に不器用な彼が、自分なりの優しさでこちらを見てくれていたことに。
 そんなことにも気付けていなかった。
 なにも、知らないままだった。
 だが、今は違う。
 もう、違うのだ。
 多野繭人を好きだと、愛していると、心からそう言える。
 なによりも大切で大事な相手だと、心の底から叫ぶことができる。
 己の弱さを認めた強さは、拓斗を自由にしてくれた。さまざまな価値を、拓斗へ与えてくれたのだ。

「わっ。こ、ここがお宿、ですか……っ!? す、すごく高級そうなんですがっ」
「おう……白目剥くほど奮発したぞ! 食事とかラウンジとか、酒飲み放題だからな! 絶対、元取ろうな!!」
「もう……たぁくん、こんな時でも格好がつかないんですから」
「うっせぇ! よーく考えようー! お金は大事だよー!!」
「それは、その通りなんですが……」

 繭人が喜ぶようにと探し回り、忍や開からアドバイスや伝手を頼ってどうにか予約を取った、高級旅館。意地の悪い上司達は見返りに『夜の営みリアルタイム配信』を所望したが、勿論キレ散らかして却下した。
 閑静な場所に造られたその旅館は広い庭園が有名で、食事や場所、温泉だけではなく、繭人が喜ぶだろうと選んだ理由のひとつだった。

「わぁ♡」
「わぁっ♡」
「わぁぁ……っ♡♡♡」

 部屋についた室内露天風呂や会席和食にいちいち感動し、喜んではにかむ繭人に拓斗も笑顔になる。「元を取る」と息巻いたものの、結局ラウンジにも行くことなく、追加で注文した日本酒を露天風呂に脚だけ浸かりながらちまちまと味わう。
 月は見えない。繭人いわく、今は新月なのだという。だが9月の中秋の名月には仕事場の仲間とお月見を楽しむことができたので、そこまで惜しいわけではない。
 普段は呑まない日本酒も、高級なせいか繭人が隣に居るせいか殊の外美味く感じる。くいっと呷るお猪口。繭人が、赤らんだ頬でそれを掲げる。

「ふへ……♡これ、美味しいですねぇ♡ぼく、日本酒、すきかも……♡」
「まゆ、酔ってね? ちゃんと水挟めよ。これフルーティーで飲みやすいから、気をつけな?」
「むっ。ぼくだって、接待でご相伴に預かることも多いんですから! だいじょぶですっ」

 明らかに酔っ払いらしい言動をとる繭人に、拓斗はそのこめかみから額へキスをして、片手でさらさらの黒髪を撫で回す。いつもと違うシャンプーの匂い。その奥から香る、繭人だけのにおい。

「でも、飲み過ぎたらいちゃいちゃできないだろ? 俺、そっちもすげぇ楽しみにしてるんだぞ~?」

 それをたっぷり吸い込みながら、その瞳を見つめて、言う。
 恋人同士、いつでも愛し合っているなにかとスケベな自分達ではあるが、それでも特別な日の特別な夜は特別だ。たっぷりと、多野繭人のすみずみまでを改めて確かめて、自分という真野拓斗を、そのすべてへ丁寧に刻み込みたい。その儀式は、やはり今日でなくては駄目なのだ。
 そんな想いを伝えれば、ほうっと繭人も息を吐く。アルコールが混じりながらも淡く蕩けた、あまいあまい吐息で。拓斗の大好きな顔をして、笑う。

「ぁ♡あぅ♡はぃ……♡♡♡ぼく……♡たぁくんにいっぱい愛されちゃうのも……♡すっごくたのしみに、してますぅ……♡♡♡」
「……。」

 ……。
 か わ い い。
 思わずその四文字で頭がいっぱいになり、無言になってしまう程度には、その繭人は可愛かった。拓斗は我慢できずその唇へ吸い付き、ゆるく濃く、吸い上げる。

「んっ♡んぅ♡ふ♡ふぅ……っ♡♡♡」
「ん♡ん♡まゆ♡まゆ……っ♡好き♡好きだ♡すきだ……っ♡」

 口づけだけでは足りなくて、離れた唇から言葉を漏らす。いくら伝えても伝えきれない愛などというやつを、何度だって口にする。だって、足りない。どれだけ言ったって、たりない。繭人をすきな気持ちは。どれだけ愛してると言ったって、満ちることがないのだから。

「んぅ♡ぁ♡んっ♡ぼく♡ぼくも、すきですっ♡だいすき♡大好きですっ、たぁくん……ッ♡♡♡」

 だが、それを等しいと告げるように繭人もこぼす。すき、だいすき、と以前は決してかたちにすることのなかった愛情を、まっすぐに伝えてくれる。くっ、と浴衣を引かれ、キスが深くなる。舌が絡み、しびれるような快感がゆっくりと身体全体に広がってゆく。
 冷たい風。温かい足元。じわりと濡れる奥が、ゆるく疼いて甘く鳴く。
 そのすべてを抱きとめて、拓斗は囁く。
 この特別な日を、さらに特別にするために。
 記念すべきこの一日を。お互いの、かけがえのない日にするために。

「ん、まゆ……っ♡ベッド、行こうか?」
「あ……っ♡はい♡行きますっ♡ぼく♡たぁくんに♡いっぱいいっぱい♡愛され、ちゃいます……っ♡♡♡」

 とけてしまうような誘いに、はにかむ口元。
 長い夜。終わらない夜。
 たいせつな恋人との、誕生日の旅行は。

 まだまだ、はじまったばかりだ。

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